ヲタク文化の中心概念・・・萌え(1)

 ヲタク文化を理解する上での中心概念…萌え。理解すべくフィールドワークに努めている(?)のですが、これがなかなか難しいものです。
 でも考えてみれば。人生だとか生だとか死だとか、あるいは恋愛だとか、そのような多義的な概念を語ったり構造化したりするほうが難しいわけで。同じく多義的な概念である萌えも、語る方法の模索の道程そのものが、最も本質をよく表しているということになるかも、かも、かも。
 萌えそのものが恋愛と同じく自己再帰性を持った概念であり、自らを拡大再生産している以上、それらは常に変化するものである。萌えは自らを参照し、自らのイメージをコピーしてミームとして流通させる。萌えは自らを自己定義する。そういうわけなので(萌えについて語られた)文献調査やあるいは社会的調査が、実体を理解する上では適しているのかもしれない。などと思ったり。

 そゆことを、記号論的に何か挑発的な方法で行うこと。これこそが唯一の戦略。たとえば、バルトの「恋愛のディスクール・断章」のように。

 萌えと恋愛の類似/差異についてはあまり語られてないように思うが、恋愛については調査も言及も数的に多いので、それらと萌えを比較することで、結構参考になるような気もするね。