クスリと自傷と。

 私にとってクスリが幸福なのは、からだとこころを、操作的に扱う事が出来る(あるいは、扱う事の出来るという幻想を与える)という、ただその一点のみによるのです。クスリの効果は、二の次です。自分自身にとって、とても不可解なからだとこころを、コントロールできるという幻想を与えてくれるものだと言うことが重要です。
 たとえば、蛇口を捻れば水が出るように。スイッチを押せば、何でもできるように。テクノロジには全てを許し、可能にするという母性的幻想があって、最も不可解なものが自分のこころとからだで、それらをコントロールできるという象徴的な存在がクスリであって、全知全能への夢でもあります。こころなんて目に見えないもの。目に見えないものさえも、扱うことのできる手を私はもっているという快楽。こころが何か哲学的な存在ではなくて、物質的なモノとして操作可能だと言う快楽。私はモノとして何かに支配されていて、支配しているのは自分だという、そんな感覚です。
 自傷は私には経験ないですけど、感覚的には判ります・。自傷は痛みによって、身体性を認識する極めてラディカルな行為。身体をモノとして扱い、自分もモノで在るという認識によって救われようとする行為。そして痛みによってそのモノを支配することで、全知全能となる行為。やっぱり自傷の快楽はクスリと同じだ・・。と想像しますよ。
 新フロイト主義者なら、サディズム/マゾヒズム的性格と言うでしょうね多分*1

*1:フロイト主義者はとりあえず性愛用語が好きなのですから。