茂木健一郎が伊勢田哲治からつっこまれていた件

いろいろ考えたらずいぶん経ってしまったのですが、とりあえず載せときます。

今更感があるのですが、日経サイエンス2月号で茂木健一郎氏と伊勢田哲治氏が対談されていたのですが、つっこみが入ってました。
TV番組で(たぶんあいのりで)茂木氏がコメントした「男女の脳の解剖学的所見や機能の差からみた男女の恋愛戦略の違い」に関してです。それはあくまで推測であって、実際のアドバイスに使うにはその結果が何を意味するかもっと慎重にすべきだが、番組では一気にハウツーまでもっていったのはどうか、という伊勢田氏の指摘です。それに対する茂木氏の答え。

茂木 確かに科学的とかいえない。ただ、科学論文は一般の人にとっては無味乾燥なものです。しかも、人間はすべて科学的根拠で生きているわけではない。どう生きようかと考えているときに、ヒントとなるアイデアを提供できたらいい。いわば、ここから先は生命哲学の問題だと考えています。
伊勢田 だとしたら、メディアで発言するときは、ここまでが科学で、ここからが生命哲学だと区別する必要があるのではないですか(笑)。
茂木 その点、かなり慎重に話しているつもりですが、テレビ番組の場合、収録した内容全部が放送されるわけではありません。自分で、全体の論旨をコントロールできないという問題がありますね。
伊勢田 それは理解できますが、そのような場合は出演しないという選択肢もあるのではないですか。
茂木 それもひとつの選択肢だと思います。メディアに登場する科学者の見識に任されている面もあるので、私も注意しているつもりです。ただ、科学的なエビデンスとしていえることはきわめて限られていて、しかも科学的であると判断するための境界線にもグレーゾーンがある。その違いは相対的なものです。
伊勢田 グレーゾーンがあるというのはたしかにそうです。いずれにせよ、マスメディアの側にも科学情報の伝え方のルールが必要です。例えば健康食品を紹介する際には、基礎科学データと実際の商品の効能を安易に結びつけないなどです。そうしないと明らかな疑似科学を広めることにつながります。

茂木氏がテレビなどで発言しているのは科学じゃなくて生命哲学だと言うことが判明しました。それはともかく。

確かに、科学には不確実性もあるし、不確実性があるにもかかわらず何らかの政策判断を科学をベースに行わなければならないこともあるでしょう。例えば、地球温暖化の予測やリスク評価(たとえば、動物実験からヒトへの外挿)などは、不確実性が存在します。不確実性がある中で、ある種の行動や政策を決定する上では、何らかの「賭け」といったようなものが発生するかもしれません。そういう分野では、科学者は玉虫色の発言をするのではなく、何らかの賭けのようなものを求められる部分も、もしかしたらあるかもしれません。

ただ、茂木氏のやってる分野に関しては、わざわざグレーゾーンに踏み込んで発言する必要は無いし、ある種の賭けを行う必要も無いのではないかと思います。